伊豆 曹洞宗福地山 修禅寺
総合案内 修禅寺について 年間行事 寺宝 トップページ
>トップページ >修禅寺について >修禅寺住職 >住職法話

◆2019
2019年1月 new
愛と平和について思う事
人類とは何物なのか

2018年8月
二つの事件と動物行動学
異類中行

2018年1月
法戦式
生・老・病・死

◆2017
2017年8月
『空』クー
世尊指地
(御誕生寺僧堂での提唱録)

2017年1月
地獄は一定すみかぞかし
ごま『護摩』


◆2016
2016年8月
天地有情
恩師(心の師匠)

2016年1月
退歩を学すべし
唯念上人を懐う

◆2015
2015年8月 
無常者即仏性
真の閑道人

2015年1月 
徳雲の閑古錐
休歇なる悟迹を長長出ならしむ

◆2014
2014年8月
諸行無常
摩訶般若波羅蜜

2014年1月
山門修復事業御協賛のおねがい
いつでもどこでも佛さまといっしょ

◆2013
2013年7月
歩歩諸佛を生む
現成公案

2013年1月
寺は文化財の宝庫
また会おう!


◆2012
2012年8月
誰家無明月清風
一遍上人に思う

2012年1月
晋山式に思う


◆2011
2011年8月
清貧
如去如来第29号より

2011年1月
同行二人
迷う時は迷う


◆2010
2010年1月
道は脚下にあり

2010年5月
師匠

2010年9月
父(生死は仏の御命)



誰家無明月清風

 『いえニカ明月清風カラン』と読みます。
 当寺三十九世斎院絶三老師書のこの掛軸が今(六月二十三日現在)掣龍閣(修禅寺内の一室)の床の間に掛けてあります。
 実を言うとこの軸は先日、伊豆市に住む、ある御婦人より戴いたものなのです。斎院老師は、修禅寺に約三十年間も住職をされていましたが、寺には住職の書かれた一枚の墨跡も残っていなかったのです。近年歴代の住職の書は、残っているのですか三十九世のみがない。今年は斎院老師の二十三回忌にあたります。その法要の時に、老師の墨跡を掛けたいと考えていました。
 四月十七日葭原よしわら観音堂での集合の時、集まった方々に寺には一枚も斎院老師の墨跡がない事。又今年老師の二十三回忌にあたり、できれば老師の書を掛けたい事等を御話しいた所、伊豆市在住の二名の方より寄進がありました。一つは『露堂々』の額。もう一つが『誰家無明月清風』の掛軸です。
 先日、ある高名な政治家が御夫妻で来山されました。最近子供さんを亡くされたとの事。奥様は、大変力を落とされておりました。その方と御茶を飲んだ部屋に、この掛軸が掛けてありました。
「この軸は、どう言う意味ですか。」という質問に「月は、どこの家にも光を落とします。風は、この家に吹き、この家には吹かないなどと言う事はありません。明月も清風もあまねく照らし、そして吹くのですが、その名月・清風を感じられない人もいます。誰が家にか明月清風無からんと言う事は、どこの家にも明月清風はある。無いと思うのは、ただ気付かないだけだという事です。」と答えました。その時、その方の奥様に向かってこう言ったのです。「お前、ウチにも明月清風はあるんだよ!」とその言葉のなんと、やさしい事か。私は、その一言を聞いて、その方が大好きになりました。
生きると言う事は、どういう事でしょうか?。人は皆、本当に生きているのでしょうか?。道元禅師様の著わした『坐禅しん』の中にこうあります。

きようして地に徹す
うお行いて魚に似たり
ひろうして天に透る
とり飛んで鳥の如し

 魚は、水の中でいつでも魚として精一杯生きています。精一杯と言う思いもなしに。不平を言い、ふて腐れている魚を見た事がありません。鳥は大空の中をいつでもどこでも精一杯生きています。鳥として。以前修行をしていた雪深い禅道場でも、雪の中小鳥達が元気に飛び回っていました。ひどい寒さに不平を言い、ふて腐れている鳥を知りません。しかし人間は、なかなかこのいのち命を精一杯生きられないのです。儲かる、儲からない。つまる、つまらない。そう言う思いの中でガンバッたり、いいかげんにやったりしているようです。
 このいのちは一回キリです。今、ココは一回きりです。まずこの一回きりの命を精一杯生きる。そしてその次に、儲かる、儲からない。成功、失敗等があるのです。今、ココにしっかり生きる事を忘れて、ああだ、こうだと思い悩み、大切な生を無駄にしないように。
 道は脚下にあり。明月清風は、今・ココにあるのです。私が私として精一杯生きている所に。一生懸命生き切っている所に。

(2012年8月)
総合案内修禅寺について年間行事寺宝トップページサイトマップ交通のご案内