清貧


 三月十一日東日本大震災後、一ヶ月間修禅寺境内は閑散とし、参拝者が一人も無い日が何日も続きました。又寺を会場として予定されていた諸行事もほとんどキャンセルになりました。(どう言う訳か、今年三月は葬式が例年の倍程ありましたが。)温泉街を歩く観光客もなく、修禅寺門前のお土産物屋・旅館・ホテル等も経営が大変な様子でした。
 大震災前は、日本中あふれるばかりの物の中、危機感もなく、電気・水道・食品…等を使っていたように思います。
 「清貧」「もったいない」「節電」「エコ」等の言葉はあっても、この言葉を切実に考え、真剣に実行している人は極めて少なかったのではないでしょうか。
 そして大震災。まさに天が与えた試練。そして啓示のような。今、多くの人が「節電」「エコ」を真剣に考え始めたようです。自分の為。家族の為。人々の為。大自然を守る為に。この地球を守る為に。
 禅の大切な教えの中に『貧を学すべし』という事があります。永平寺御開山、道元禅師のお言葉を道元禅師に影のごとく随待した永平寺二世・懐弉禅師が書きとめたと言う『正方眼蔵随聞記』があります。その中で道元禅師は何回も何回もこう言っています。
 「学道の人は、すべからく貧なるべし」と。そしてこのような御話が書かれております。  昔、私(道元禅師)が修行していた時天童山にいた、書記の道如上座は、官人、宰相の息子であった。しかし衣服(コロモ)はぼろぼろで大変粗末な物を着けており、目も当てられないようであった。ある日私(道元禅師)は、道如上座にたずねた。「和尚は、官人の息子。富貴の出身と聞いております。なぜそのような粗末な物を着ているのですか。」彼はこう答えた。「僧となったからです。」と。
 この箇所を読むたび、涙が出てきます。僧とは、職業ではありません。貧を学し、人間社会の枠をこえた本当の自由人。天地の中で天地と共に生きる者なのです。
 おシャカ様。道元禅師。法然上人。親鸞上人。一遍上人。良寛さん。一休さん……皆清貧の中に居りました。いや古佛達ばかりでなく、イエス・キリストも西洋の聖人達も皆、清貧と枯淡の中に生きていたのです。
 霊性をを考える時、古今東西の霊性の具現者は、皆清貧の人たちなのですね。
 修禅寺へ入山して、早二年。「学道の人は、貧なるべし」という御言葉をしっかり噛み締め、心して生きなければと思っております。

"僧とは、何なのか?"
"出家とは?"  常に問いかけながら。
(2011年8月)

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