摩訶般若波羅蜜


 道元禅師様の著『正法眼蔵・摩訶般若波羅蜜』の中に『また一枚の般若波羅蜜、而今ニコン現成せり、阿耨多羅三藐三菩提アノクタラサンミャクサンボダイなり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・未来なり。また般若六枚あり地・水・火・風・空・識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・往・坐・臥なり。』とあります。
 而今ニコンとは、今・ココの事。阿耨多羅三藐三菩提とは、仏様方のお悟りの事です。
 般若波羅蜜(絶対の知慧・いや絶対そのものとは)は、今・ココに現成されている。今・ココに現成されているという事は、いつでも、どこでも、なにからなみまでだと言う事。過去・現在・未来も、物質を作っている要素、地・水・火・風・空・識も。私のすべての生活の在り様である、行・往・坐・臥も。般若波羅蜜だと言うのです。
 そう、私がいつも言っている「いつでも、どこでも(今・ココで)仏さまと一緒。」と、言うことなのです。精一杯生きようではありませんか。自己のなすべき事に、誠を尽くそうではありませんか。大いなる者・仏様と共に。
 この九月二十三日彼岸中日、午前十時より、修復中である修禅寺山門落慶法要を修行致します。この山門は、文久二年の大火の後、最初に造られた修禅寺最古の建築物です。山門の両側には、古くは、横瀬のなめど大門(今はありません)にあり、今は指月殿内に保管安置されている仁王さまが遷座されます。この仁王さまは、平安時代の非常に古い仏像です。御時間を作りぜひ御参拝下さい。
 また、山門修復後には、前修禅寺住職が発願し始められた奥の院護摩堂建設が残されています。小生、修禅寺入山以来、まる五年がたちますが、否応なく建築事業に取り組んでおります。正直、忸怩(じくじ)たる思いを持って。
 お釈迦さまが衆と共に行く時、地を指して言われました「此の所に寺(修行道場)を建てよう。」と。その時、タイシャク天は、一本の草をその場所に挿してこう言われました。「寺を建てる事は、すでにすみました。」と。
 この話は、何を言っているのでしょうか。そこを得心しなければ、僧として、出家として、住職としては、落第生になってしまいます。寺の住職の事を『住持』と言います。佛法に住し、佛法を護持している為です。江戸時代の名僧・天桂禅師は、「昨今の住持には、手偏がない。」と皮肉を言っております。それは、昨今の住職は、ただ住寺だけで、仏法に住し、仏法を護持していないと言う皮肉なのです。
 金ピカな、見た目豪華な寺だけなら、僧でなくても造れるでしょう。しかし本当の寺は、できません。仏法に生きている人でなければ。小生、この事を肝に命じていなければならないと思っています。
 縁有って修禅寺に入らせていただき、又縁有って伽藍を整えています。しかし、しかし、そこに仏法がなければ、それは、悲しい。

『般若波羅蜜多の現成せるは、佛薄伽梵(仏さま)の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ佛薄伽梵に奉覲承事(おめにかかり、お給仕する事)するなり、奉覲承事の佛薄伽梵なり。』
正法眼蔵摩訶般若波羅蜜
(2014年8月)

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