『空』クー

 
 観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五薀皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空 空不異色 色即是空。空即是色。
 
 『観自在菩薩』とは、自己の在りよう、すなわち空を明らめた人。『深般若波羅蜜多を行ず』とは、空を行ずる事。『時』とは、今・ココの事です。今・ココは自己が必ず在る所ですから、自己が在る所、すなわち、いつでも・どこでも、どっちへどう転んでも、何があっても、空を行じているのです。すなわち空、その物として生き死んでおります。
 『五薀』、色(身)と受想行識(心の作用)が、皆な空であると明らめるのです。空を別の言い方で言うと、移り変る無常の当体の今・ココ。(ほとけ)御命(おんいのち)ともよび、尽十万世界真実人体とも、佛法ともよんでいます。我々は皆、そこ(空)に在り、それ(空)を(いのち)とし、それ(空)を身心として在るのです。ですから実相は、無相・空相なのです。その空と言う自己の在りように、かってに思いを付け加えて悩んでいる。すなわち『苦厄』をかってに作っているのですね。『色即是空。空即是色』(しき)(身)は、『(そく)』今・ココに『()』これとして、移り変る当体(空)としてあります。また移り変る当体は、今・ココに、(これ)として、色としてあると言ってもいいかもしれません。
 
 舎利子。是諸法空相・
 
 舎利子(釈尊の弟子)よ。今・ココで現成している(これ)が自己の在りよう(法)の当体である。そして(これ)、すなわち法は、空相なのだ。瞬時に移り変って行き、二度と同じ事はないのだ。人生のやりなおしは、できないのだよと。
 今年正月下旬、黒の柴犬が寺に来ました。修禅寺付近で保護され一月二十五日を過ぎると殺処分になると言うのです。おとなしい、本当に良い犬なのです。「何とかしたい。助けてやりたい。」と思いました。ボランティアの方々に電話を致しました。そして、この黒の柴犬『空』クー(犬の名前)が寺に来たのです。
 空の所から、空のように、空が来ました。寺に来た当初は、(ひど)い状態でした。身体は、傷痕(きず)だらけ尾の毛は抜けてネズミの尾のよう。ガリガリに()せていました。
 今も空を見ると思うのです。「これまでどういう生き方をして来たのか。」「誰に飼われていたのか。」「どこから来たのか。」等。そして苛酷な状態の中を生きて来たにも拘らず人にも吠えず、皆にあまえる姿を見る時、知らず知らず涙が出て来てしまうのです。
 私は、よく空にたずねます。
「オマエは、(いま)幸せか?」と。
 身体の傷痕もなおり、体重も来た時より二キロ以上増えました。あまえてくる空の姿を見る時、こいつも観自在菩薩にちがいないと思うのです。

(2017年8月)


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