是非の人


 今・この原稿を書いている時、私の部屋に放してある、ウサギのチビ(名前)が私の足指をなめている。少し前までは、部屋の中を元気に走り廻り、ときどき飛び跳ねていた。
 そして午后からは、柴犬のゴマとクーがチビと入れ代わり、私の部屋を独占する。静かな穏やかな日々が生き物達と過ぎて行く。修禅寺のウサギ達の里親募集も無事終了。沢山の人々の御援助のおかげであります。
 ウサギ達が増えてしまったのは、本当に私の不注意。慚愧の念に堪えません。この書面をかりて、心より御詫び申し上ます。
 いろいろな方より御叱り、御非難、そして私個人に対する中傷もいただきました。苦しく、情け無く思う日も多々ありました。特に私を信じついて来てくれる人々。そして寺で共に生活をしている者達には、迷惑をおかけしました。
 これだけは、書かなければと思い、この文章を書いています。人として僧として、これまでウサギ達の生命を守る事を第一としてやってきました。まだ去勢等が不完全な時、嘱望されることなく産まれてくる子ウサギ達も死なせる訳にはいかなかった。いや私一人でも「生まれて来て、ありがとう。」と祝ってやりたかったのです。人前では、決して言えない言葉でしたが。
 こんな事を書くと、また一部の人から「住職は、自分だけ良い人に見せようとしている。ウサギ達を不幸にさせたのは住職なのに。」と言われそうです。以前から何回も何回も言われましたので。
 正直私は、良い人に見られようと、悪い人と思われようと、あまり気にしておりません。ウサギ達の生命を守る事。これ以上決してウサギを殖やさない事。そして今居るウサギ達を幸せにしていただける里親さんを、なんとかして見付ける事を最優先にやってきました。
 新約聖書・ヨハネによる福音書に、ある罪をおかした女性の話しがあります。
 罪を犯した女性が広場に引き出された。そして律法学者は、イエスをためすためこうイエスに聞いた。「モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか。」と。その時イエスは身をかがめて指で地面に何か書いておられた。彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」そしてまた身をかがめて地面に物を書きつづけられた。
 これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりひとり出て行き、ついにイエスと女だけになった。イエスは身を起して女に言われた。「女よ。あなたを罰する者はなかったのか。」女は言った。「主よ。だれもございません。」イエスは言われた。「わたしも、あなたを罰しない。お帰りなさい。今後は、もう罪を犯さないように。」
 『来たって是非(ぜひ)を説く人は、すべからく是非(ぜひ)の人』と言う禅語があります。何を是とし、何を非とするのか。自己の主張を是とするために多くの人々をまきこむ人もいます。自然界の中に居る生き物や存在は、いつも謙虚であるのに。人間は『謙虚』、これができないんだな。
 
ものごとがすべて真黒に見えるときでも動揺せずに落ちついて穏やかな気持ちを失わなければ、きっと事情が好転するようななにかが起こる。
〈「シートン動物記」より〉

(2019年12月)


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