桂谷八十八ヶ所巡拝


  令和元年度、桂谷八十八ヶ所巡拝は、私が修禅寺住職となってから十一回目の巡拝となりました。この巡拝期間の三日間は、雨も降らず、穏やかな日が続き、十一年間で初めてのことだと思っています。特に一日・二日目は快晴。汗ばむような陽気でした。
 巡拝は、同行二人の旅。御大師様・佛さまと共に行く旅です。同行二人の旅ですから、実は巡拝の始めより、大安心・大幸福の旅なのです。もう初めから救われている旅なのです。雨が降ろうが、風が吹こうが。
○桂谷第一番御詠歌
 ()(もと)の (わし)御山(みやま)ぞ (とうと)けれ
 たえなる(のり)の (こえ)のたえねば

 (わし)御山(みやま)とは、霊鷲山(りゅうじゅせん)というインドの山。おシャカ様が説法をされた場所です。すなわち、日本のここ、桂谷八十八ヶ所巡拝の第一番札所のある寺山(てらやま)こそ、おシャカ様が、いつでも法を説いている場所ですよ。それも絶え間なく。法華経の中に、常在霊鷲山(つねに霊鷲山(りゅうじゅせん)にある)とあるが如く、絶え間なく法を説くのですから、今・ココで、その説法を聞いているのですよと。

○桂谷第十六番御詠歌
 みわたせば 光り輝く山辺かな
 千草(ちぐさ)(つゆ)に 月のやどりて

同行二人で旅をしていると言うお(さと)りの目で観ると、この山のすべてが(ほとけ)様としてあるのですよ。一草一木たりとも(ほとけ)でないものはない。それは、まさに千草の露に月がやどるように。月は佛様を表わしています。

○桂谷第二十一番御詠歌
 ひとすじに道を求めて(たわ)まずば
 (たつ)のあぎとの(たま)とても()

 天地(()り)の道は脚下にある。(たわ)まずとは、まげない、弱めないと言うこと。道、すなわち今・ココの足元を、同行二人・佛様と一緒に行くのなら、大安心・大幸福という龍のあぎとにある珠(宝)を必ず得ることができる。いや実は、すでにこの珠を得ているのですよ。巡拝に参加しているのですから始めから、そう決定(けつじょう)しているのです。

○桂谷第三十八番御詠歌
 (のぼ)り来て きくやみ(てら)(かね)(こえ)
 諸行無常(しょぎょうむじょう)とひびきわたるを

 諸行無常は、天地(宇宙)の真理です。諸行無常なのですから、もう二度と(もど)らない、今・ココを精一杯生きようではありませんか。また精一杯生きる事を同行二人・佛様と一緒と言っているのです。やるべき事、今している事と一つになる、それが同行二人。

○桂谷第八十八番御詠歌
 つきなれし (つえ)(おさ)めてみ(すがた)
 また()む日をば(ちぎ)りこそすれ

 令和元年度の巡拝は、すばらしい三日間でした。さて今年(令和二年)の桂谷八十八ヶ所巡拝は、どうなるのだろうか。それももう決まっているのです。すばらしい巡拝になると。同行二人の旅ですから。毎年十一月七日から九日の三日間は、桂谷八十八ヶ所巡拝です。ぜひ御参加下さい。


(2019年12月)


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