愛と平和について思う事


 『愛』とは何か。もちろん愛を感じる相手、対象物をいとおしく、恋しく思う事です。しかしただそれだけでは。またその思いが強ければ強い程、愛欲・渇愛となり安心や幸福から遠ざかって行きます。真の『愛』には禅で言う『 三心 ( さんしん ) 』が必ず含まれています。
①『 喜心 ( きしん ) 』相手の存在、二人が出会った御縁、今ある状態等すべてに喜び・感謝できる心。
②『 老心 ( ろうしん ) 』愛する者(物)に誠を尽くす、親切なやさしい心。自我の所有物にする為、暴力を振う事などあろうはずもありません。
③『 大心 ( たいしん ) 』不動なること大山の如く、寛大なること海の如し。愛の為に許し、待つ事ができるはずです。
 この『三心』のどれか一つでもその愛から消えた時、幸せな愛の形は変わって行くでしょうね。それは、相手の事を考えない自分かってな愛の姿になるからです。
 『平和』の平とは、高低がない。ひらたい。ふつうの意。ですから平和とは、いつも通りにやわらいでいる、普通におだやかな様子をいいます。そこには、何か特別な、刺激的な物事が入りません。
 朝起きて、いつもの家族の 顔触 ( かおぶれ ) 。「おはよう」「行ってきます」の声。愛する家族、信頼する友人、仲間達といつも通りに付き合っている姿です。そして、平和(大平)をことさら喜ぶ声も聞こえません。平和と言う言葉さえも忘れている程に『平和』なのですから。昔の人々は、それを ( ) 、知っていたように感じるのです。鼻の下を伸ばし、グルメや快楽的刺激を幸せと勘違いしてウロウロしている者は、平和ボケをしているとしか言えませんね。
 『無事是貴人』という禅語があります。人生を真摯に生き抜いてきた人には、この言葉の真意がよく分かると思うのです。

 わが怒りもてなせるものは
華やかに生い育ちたれど
一夜すぎ……雨に消えたり。

わが愛より()けるものは
つねに芽ぐむ
その実りおそけれど……
祝福はその上にあり。

ペーター・ローゼッガー (1843~1918)

(2019年1月)


当ホームページ内の写真や文章等の転載はご遠慮ください。
Copyright(c) Fukuchizan Shuzenji Temple All Rights Reserved. No reproduction or republication without written permission.
〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺 福地山 修禅寺