寺 宝

修禅寺に伝わる宝物の紹介です。
・2017年7月 中国古石仏4体 追加掲載致しました。
一部は修禅寺宝物殿(入館料300円)にて拝観出来ます。宝物殿の開館時間は以下の通りです。
4月から9月 午前8:30 午後4:30
上記以外の時期 午前8:30 午後4:00

※ただし修復やその他の理由で一時公開を中止している場合もございます事をご理解下さい。
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頼家の仮面

頼家の仮面

岡本綺堂が新歌舞伎の傑作「修禅寺物語」を書くきっかけとなった面ですが、詳細は不明のまま寺宝として伝わっています。...

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平安期密教法具

平安期密教法具

 昭和三十六年十一月二十八日のこと。修禅寺裏山の共同墓地で4人の庭師が、地中から古い法具を偶然発見しました。...

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大日如来坐像

大日如来坐像

 修禅寺本尊のこの木像は、高さ103cm、膝張り73cmのほぼ等身大で、ヒノキの寄木造り、目には水晶がはめ込まれ、漆箔が施してあります。その作風や体型、表情などが運慶の手になる奈良円成寺の...

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丈六釈迦如来坐像

丈六釈迦如来坐像

 修善寺温泉街南側の鹿山は古くは塔の峰と呼ばれ、その麓に修禅寺の飛び地境内、指月殿があります。...

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金剛力士像二体

金剛力士像二体

 昔の修禅寺は広大な寺領を持ち、横瀬に総門があったため、横瀬大門の地名は今でも残っています。この金剛力士像は、元来ははそこで寺を守護していたものです。
 いつの時代からか指月殿で丈六釈迦如来坐像の両脇に安置されるようになりました。
 金剛力士像は一般に山門あるいは須弥壇に阿吽一対で...

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修禅寺絵地図

修禅寺絵地図

 修禅寺に伝わる最古の絵地図。横134cm、縦58cmの和紙へ描かれた鳥瞰図で平成17年に修復されました。
 現在の大字修善寺の地域が、桂川を挟んで北側と南側で対面するように描かれており、東は横瀬付近から、西は奥の院付近までの広大な寺領が文字入りで詳細にわかります。
 例えば、中央に描かれた修禅寺には大きな回廊があり、正面には「客殿」、その右に「寶蔵」、左に「大日堂」...

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源頼家肖像画

源頼家肖像画

 源氏の征夷大将軍頼朝を父に、北条政子を母に、寿永六年(1182)長男として生まれた頼家は、幼名を万寿と称し、...

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宋版放光般若波羅蜜経
         一巻

宋版放光般若波羅蜜経一巻

 源頼朝を父に、北条政子を母に、源氏の嫡男として生まれた頼家は父の急死により二代目の征夷大将軍となりましたが、若い頼家は御家人たちの反発を受け、母方の北条一族と対立して実権を失います。やがて病気を理由に修禅寺へ幽閉され、...

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釈尊涅槃図 ※非公開

釈尊涅槃図

 釈迦が亡くなる際に僧侶や武将など、人間から動物までこの世の生き物や鬼神らが釈迦を囲んで悲しんでいる様子が描かれています。古代インドの町クシナーラのサーラ樹の木陰で頭を涼しい北に向け、右向きに横たわった釈迦は、...

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広重筆、修禅寺湯治場

広重筆、修禅寺湯治場

 歌川広重(1797-1858年)は、江戸後期に活躍した浮世絵師。歌川豊広に師事して美人画や役者絵を描いたが、...

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北条早雲寄進状

北条早雲寄進状

 北条早雲(1432-1519年)は、室町幕府の内紛を機会に韮山の足利茶々丸を滅ぼし、その後わずか1ヶ月で伊豆一円を手中に納めると、その余勢をかって相模へ進出しました。実力者が力を伸ばす戦国時代にその先端を切った風雲児でした。小田原北条氏(後北条)の祖として典型的な戦国大名といわれています。
 この書状は、勢いのあった壮年時代に、荒廃していた修禅寺に三十五石の寺領を寄進して...

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副島種臣の寺号額

副島種臣の寺号額

 本堂の正面に掲げられた「修禅寺」の寺号額は、明治三筆の一人とも言われた書家であり政治家である副島種臣(1828-1905年)の揮毫です。種臣は佐賀藩出身で伯爵、外務卿、内務大臣などの肩書きを持つ明治の元老。明治38年に78歳で没しています。
 弘法大師1050遠忌にちなみ、33世物應契先住職の代に修善寺温泉へ逗留していた種臣が、求められて揮毫したものです。...

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刺繍釈迦三尊仏

刺繍釈迦三尊仏

 北条政子(1157-1225)は夫である源氏将軍の頼朝亡き後に出家しました。長男頼家は二代将軍となったものの母方の祖父である執権北条時政一族の策略で、修禅寺へ幽閉されたのち元久元年(1204)に暗殺されてしまいます。さらに三代将軍を継いだ次男実朝まで犠牲になると京都から藤原頼経を四代将軍に迎え、政子はその後見として鎌倉幕府に強い影響力を誇ったのです。...

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大黒天半跏像

大黒天半跏像

 にこやかに米俵の上に立つ大黒さまの姿はなじみ深いですが、そのルーツであるインドの大黒天は三面六臂の姿です。これが僧侶たちに食料をもたらす神となり、...

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本堂欄間彫刻(部分)※非公開

本堂欄間彫刻(部分)

 弘法大師空海(774-835)は讃岐の生まれで、儒教を学んだのち仏教を学び、入唐...

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不動明王立像 ※非公開

不動明王立像

 大日如来の命を受けて、魔族や煩悩を降伏させるために姿を現した...

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水瓶

水瓶

 水瓶は飲料水などを入れておくのに用いられたものです。桐材らしき木製のこの大振りな水瓶は、取っ手までの高さ34cm、本体の直径25cmで根来塗りが施されています。
 「根来もの」として珍重されるこの漆器のルーツは、和歌山県の根来寺だそうです。
 根来寺は空海が確立した...

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木製象香炉

木製象香炉面

 密教系の寺院で重要な秘儀の一つに頭に法水をそそぐ灌頂会というものがあります。正しく修行を積んだ僧に位を継承する伝法灌頂、弟子に授ける弟子灌頂、一般信者に授ける結縁灌頂などの密教の奥義を伝授する灌頂壇への入堂にあたって、身体や法衣に薫香を付けるために象炉が用いられたそうです。...

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川端龍子の天井画玉取龍(部分)

川端龍子の天井画玉取龍(部分)

 近代日本画壇で修善寺ゆかりの巨匠は枚挙にいとまがありませんが、川端龍子(1885-1965)がその筆頭といっても過言ではないでしょう。  洋画から日本画に転向した龍子は、大作主義による「会場芸術主義」と掲げて、日本画団体「青龍社」を旗揚げするなど、異端とも評されましたが、...

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青磁鎬花器

青磁鎬花器

 中国で生まれ、朝鮮半島を経由して日本にも伝わった青磁は、花器や香合、煎茶の道具などなじみがあります。しかし、もとは祭器として作られており800年ほど前の宋時代の皇帝が、青にこだわった窯を作らせて最盛期を迎えました。...

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半跏思惟菩薩像

半跏思惟菩薩像

半跏思惟菩薩像(はんかし(ゆ)いぼさつぞう)は、釈迦牟尼が太子の頃に菩提樹の下で静かに座って思惟し、...

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釈迦如来三尊像

釈迦如来三尊像

 中尊に施無畏・与願印を結んだ釈迦如来立像、両脇侍には菩薩像を配し、舟形光背の上部には六飛天と棒燈、主尊と両脇侍の下部には一対の龍、...

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釈迦如来立像

釈迦如来立像

 二重火炎の舟形光背を背にし、両脇には比丘像を配して、施無畏・与願印を結んだ釈迦如来立像である。...

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釈迦如来立像

釈迦如来立像

 施無畏・与願印を結んだ釈迦如来立像である。火炎と蓮華の舟形光背の上部には二重光背を持つ三尊像が伴われている、...

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