■ 北条早雲寄進状



 北条早雲(1432-1519年)は、室町幕府の内紛を機会に韮山の足利茶々丸を滅ぼし、その後わずか1ヶ月で伊豆一円を手中に納めると、その余勢をかって相模へ進出しました。実力者が力を伸ばす戦国時代にその先端を切った風雲児でした。小田原北条氏(後北条)の祖として典型的な戦国大名といわれています。
 この書状は、勢いのあった壮年時代に荒廃していた修禅寺に三十五石の寺領を寄進して安泰を願った寄進状です。
 『一、先ず寺家門前共足入れざる事 一、湯に於いては高下とも狼藉なすべからず 一、お寺の山林は前後左右地家人の四壁迄、奥山は人馬渡通る間、永代違乱なく寄進申し候、若し末代に於いて切り取る族者有らば堅く厳科に処すべき者なり、よって証文件の如し』と記され、明応8年(1499)3月28日付となっています。
 早雲は縁故の高僧を住職に招請するなど、修禅寺の再興に尽力しました。 永正13年(1516)相模の大半を平定した早雲は、翌年には子の氏綱に後を継がせて、根拠地とした韮山城で87歳の大往生をとげました。 遺体は修禅寺で火葬され、遺言によって箱根湯元の早雲寺へ納骨されています。




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