伊豆 曹洞宗福地山 修禅寺
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本堂欄間彫刻(部分)※非公開


 弘法大師空海(774-835)は讃岐の生まれで、儒教を学んだのち仏教を学び、入唐(804-806)して恵果から密教の奥義を受けて帰国しました。高野山に金剛峰寺を創建し、京都に東寺を賜って根本道場を開き、真言宗を確立しました。
 伝説では二度ほど桂谷(現在の修善寺)の土地を踏んだことになっています。
 まず延暦十年(791)のこと。18歳の空海は桂谷に魔族が多く修行の妨げになるので、空中に向かって「大般若魔事品」の経文を書き、魔族たちを岩谷に閉じ込めてしまいました。その場所は桂谷山寺と伝記にもあり、今の奥之院(正覚院)だとする話。
 次に大道二年(807)には弟子の杲隣の力添えで現在地に修禅寺の伽藍を建立し、温泉を発見した話。湯治のすすめは広く社会教化に尽力した空海らしい伝記です。
 爾来1200年の間、修禅寺は真言宗、臨済宗、曹洞宗と変わってもこの地域では「お弘法さん」の愛称で宗派をこえて親しまれています。
 この彫刻は空海の一代記を表現したものとみられますが、作者名などは無く詳細は今後の研究を待たなければ分かりません。本堂正面の欄間に三面はめ込まれており、中央の欄間が縦64cm、横240cm、左右の欄間が縦87cm、横150cmで総ケヤキ材。かなりの重さですが、多くの記録や宝物を失った文久三年(1863)の大火では本尊ともども無傷で担ぎ出されており、この彫刻に対する当時の人々の強い思い入れが伺われます。
本堂欄間彫刻(部分)


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