師匠


 平成21年12月12日、師匠・修禅寺四十一世穆堂圓宗大和尚が九十八歳で遷化致しました。
 亡くなる一ヶ月程前、堀切・泉龍寺の隠居を訪ねたとき、師匠は寝息をたてて気持ちよさそうに横になっていました。起こさないよう静かに寝顔を覗きこんだ時、涙が出てきたのです。そして「ありがとうございました。」
と言っておりました。今だから書ける事なのかも知れませんが、この時『この出会いが今生の最期かもしれない』と思ったのです。
 12月12日、兄弟子・耕健兄より師匠危篤の連絡を受けた時、『来る時が来たな。』と言う思いの冷静な自分が居りました。
 20年以上前、師匠が修禅寺住職時代、数年間を一緒に生活させて戴きました。修禅寺住職になったからと言って着る物も華美にならず、特別に何かを買う事も無く淡々と生きていました。まさに、少欲・知足の人でした。
 食事の時、師匠からよく聞いた言葉があります。「真常!比丘(出家僧)の口は竈の如しと言うんだぞ。」と。
 師匠が修禅寺住職になるまで、私は師匠が、赤や黄色の衣を着た処を一度も見た事がなかったのです。修禅寺住職になり恥ずかしそうに黄色の衣を着けた師匠を見た時、何か師匠が少しずつ離れて行ってしまうような気がして、寂しかった事を覚えております。やはり師匠は、黒・茶・ねずみ色等の衣が似合いましたね。私の師匠ですから。
 泉龍寺並修禅寺で一緒に居た時、私の室に来てこう言うのです。「オメエは、いつも、こむずかしい本を読んでいるな。ショッタ、ヤロウダよ。」こう言っている師匠の顔は、いつもうれしそうに笑っていました。
 師匠の遺偈(ゆいげ)(高僧碩徳が入滅に際して、後人のために残す偈)にこうあります。

馬齢兪九十 猶滞是非辺
霜暁閑窓下 弧慙愧瓦全

『私は九十歳をこえるまで生きてきたが、まだまだ、勝った負けた、良い悪い等の思い、分別の中に居るようだ。霜のふる今朝、隠居で一人坐禅をして居る。そして、このように只在る事を慙愧するばかりだ。』と。
 洞山大師、師・雲巌を辞し去る時、問て曰く「百年後忽ち人あり、還て師の真を貌せしや否と問わば、如何祇対せん。雲巌良久して曰く「祇だ這れ是れ」と
『洞山大師が、師匠雲巌大和尚の寺を去る時、師に尋ねた。「百年后に師匠の本当の姿は、どうであったか尋ねられたら、どう答えれば良いでしょうか?」雲巌大和尚は、しばらく黙っていて、そしてこう答えた。「タダ、コレ是レ」と。』
(2010年5月)

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