徳雲の閑古錐
徳雲閑古錐 幾下妙峰頂 他傭痴聖人 擔雪共塡井
(
徳雲の
閑古錐 幾たびか
下る
妙峰頂 他の
痴聖人を
傭って
雪を
擔って
共に
井井を
塡む )
徳雲とは、華厳経入法界品に記される徳雲和尚(比丘)のこと。善財童子が?参した五十三人の善知識の一人です。妙峰頂とは徳雲和尚が住んでいた妙峰山の頂きのこと。
閑古錐とは、閑はしずか。古錐は古く、すり切れ、先が円くなったきり。
世事俗情にひきまわされない悠悠たる真の道者。真の佛者のことです。
この禅語(徳雲閑古錐 幾下妙峰頂 他傭痴聖人 擔雪共?井)に親しむ時、昨年十月九日に遷化された、当山四十二世大全德潤老師の事が思いだされます。
今から三十数年前、小生の得度式(僧侶となる式)の時、師寮寺伊豆市堀切の泉龍寺で初めて御会い致しました。失礼とは思いますが、その時の小生の老師に対する印象は、口をへの字に曲げられ、黒縁の眼鏡をかけた、細くむづかしい顔。まさにするどい錐のような人だな~と言うものでした。
昭和六十年二月、師匠(丹羽圓宗老漢)が修禅寺四十一世住職として入山するに伴い、小生も師匠補佐の為修禅寺へ上山致しました。
それからです。德潤老師と親しく御会いし御話し等できるようになったのは。そして平成三年師匠にかわって修禅寺四十二世住職になられました。
德潤老師が修禅寺へ入られてから、老師の御顔が少しづつかわって行くのを感じておりました。まるく、やさしくなって行くのです。特に平成十九年修禅寺開創千二百年祭の前ごろより、もうもうやさしい、慈眼の人。佛さまのような御顔になっていきました。まさに徳雲の閑古錐のごとく。いろいろな事があったのでしょうね。楽しい事より苦しい事の方が多かったかもしれません。これは、小生が修禅寺の住職になって分かることなのですが。何回も何回も嶮しい、山に登り下って来たのですね。そのつど角が取れ、まるくなっていったのだと思います。
雪で井戸をうめる事はできません。なぜなら雪は、溶けて水になってしまうのですから。井戸をうめる。うめない等は、大した問題ではありません。大切なことは、雪を擔うことです。雪を擔うとは生きる事。精一杯、誠を尽くして生きる事です。
德潤老師の訃報を聞きかけつけた時、老師の御遺体は、こう小生に言っておりました。
「ワシは、ワシの一生を精一杯、生き切ったぞ!!」と
「本当に、御苦労さまでした。」
と小生は、答えておりました。
(2015年1月)