すべての者・物は、一時も留まる事なく移り変わっている。今・ココと言う移り変わって行く時と場所に存在している。そして、その存在している今・ココは、二度と戻ってこない。すなわち、やり直すことができないものであります。
今・ココに誠を尽くすしかないでしょう。生きているのですから。今・ココに誠を尽くしていると、おのずから、生きる事が楽しく、喜べます(喜心)。すべての者や物に本当にやさしくなります(老心)何ごとにも囚われなくなります(大心)これは、小生六十年間生きてきた実感です。
五月二十一日修禅寺裏山に観音石像(高さ二・一メートル・台座を含め四・六五メートル)が建立され開眼法要が厳修されました。以前、この地に安置されていた観音像は金属製の為、第二次世界大戦のおり供出されるという憂き目に遭ったのです。その后約七十五年間裏山には、台座だけが、取り残されていました。そしてよくその台座、張り紙がされていたのです。「早く再建して下さい」と。
昨年、修禅寺護持会より寄進のお話しを戴きました。折りし折り山口石材店を通じ観音像のお話しがあったのです。この観音像は、この残された台座にあわせ、特別に作った物ではありません。いろいろな因縁により、この地に参りました。実を言うと、観音さまの方からこの地を選んでおいで下さったようなのです。まるで風のように空気のように、この地に立ってしまったのです。
小生、この観音さまを『修善寺平和観音』と命名致しました。修禅寺ではなく修善寺としたのは、寺だけでなく町民、いや皆様一人一人のものだと言う意味合いです。以前の旧観音さまは、戦争の為に供出させられました。観音さまの心に反して。観音菩薩さまの無垢清浄の慈光を以って三毒(一、
修善寺平和観音が立つ修禅寺裏山も少しずつ整備されています。裏山には、昔ながらの山道があり、古い沢山の碑や石仏達が置かれています。裏山の整備が終った暁には、この裏山の古道並石仏群を『修善寺平和観音古道』として世に問うてみたいと思うのですが。
奥之院護摩堂の建設も順調に進んでおります。十二月二十二日十三時よりの星まつりに合わせて落慶式を予定しております。
奥之院護摩堂と謳っておりますが、実の所、護摩を焚くのは年一回、星まつりの時だけなのです。そういう訳で、もちろん護摩も焚くのですが、通常は、葬儀会場(修禅寺檀家以外でも使用可)やイベント・コンサート等でも使用していただけたらと考えています。
最近、葉室麟著『銀漢の賦』を読みました。その中に
暮雲収盡溢清寒
(
銀漢無聲轉玉盤
(
此生此夜不長好
(此の生、此の夜、長くは
明月明年何處看
(明月、明年何れの処にて看ん。)
さ~。小生、明年は、いずれの処で明月を看るのだろうか。楽しみだな~。