退歩を学すべし
昨年の新聞にこんな記事が掲載された。
『全国の警察が今年上半期に摘発した刑法犯のうち65歳以上の高齢者が2万3656人に上り年齢層別統計を取り始めた1989年以降、初めて半期ペースで14~19歳(1万9670人)を上回ったことが警視庁の集計(暫定値)で分かった。』
少子高齢化が犯罪現場にも反映されていることも分かります。お元気なお年寄りが沢山いる事も喜ばしい事と思います。しかしこれではね~。
小生今年で六十一歳になります。まだまだ青二才。こんな小生ですが言わせていただきたい。
「青臭い老人が多すぎる!」と。
修善寺温泉場の一方通行の道路を車で平気な顔で逆走する老人。赤信号で停まっている小生の車の後につき、信号が変わったとたん、小生の車を追い抜いて走り去った方、どう見ても小生より年上に見えましたぞ。申し訳ない事ですが、こういう老人を見ていると、情け無くなってしまうのです。「もう、日本もおしまいかもしれない。」と。「今時の年寄りは……。」との声が聞こえてきます。一昔前は、「今時の若い者は……。」と言ったものなのに。
今までどう生きて来たのでしょうか?自己を省みる事などかなったのでしょうね。鼻の下をのばして、外側を豊かにするだけの満足で幸福になると思っているのでしょう。子供さんもお孫さんもいるでしょうに。
テレビのCMでよく観ます。年を取っても若い人のようにピチピチなお肌。運動も旅行も若い人のように。これも一つの幸せの形ですが、本当の幸せは、手に入りませんよ。絶対に。
仏教では、この本当の幸せの事を『
安心』と言います。そしてこの
安心は、自己のあり方と深く関わっています。自己の深さ・広さの分量しか、
安心はありません。ですから自己を顧み、深めて行くしかないのです。古の生活は、生きる上で沢山の試練等があり、自然に年を取ると、自己が深まっていったようです。天地に、春・夏・秋・冬があるように。
坐禅をしませんか?本当の自己・自然をさがす旅に出ませんか。本当の
幸幸・
安心を手に入れる為に。
須らく言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。
須らく回光返照の退歩を学すべし。
道元禅師著『普勧坐禅儀』より

(2016年1月)