生・老・病・死
馬大師不安。院主問う。和尚近日尊候如何。大師云く。日面佛・月面佛。
禅の書籍『
碧巌録』にある公案です。
馬大師とは、馬祖山に住した道一ど禅師のこと。馬大師が
病重く寝込んでいる時、院主が御見舞に来て、こう尋ねます。「和尚、近頃
御身体の具合はどうですか。」と。大師は言われた。「日面佛、月面佛。」日面佛・ふ月面佛とも『三千佛名経』に出ていくる佛の名。日面佛は寿命一千八百歳。月面佛は寿命一日一夜と言われています。また日月とは、もちろん日と月、そこから過ぎさる時間。光陰をも言います。
馬大師にかわって私なら、こう答えましょう。「生の時は、生佛。老の時は、老佛。病の時は病佛。死ぬ時は、死佛。」と。
道元禅師書『正法眼蔵生死の巻』に生死はと佛の
御命なりとあります。生死が佛の御命ですから、生老病死も佛の御命なのです。我々には、必ず生老病死という
有り
様があります。それは、今・ココの現実の姿でもあります。この有り様を『
空』と名付けました。生・老・病・死は、皆空の姿です。もちろん移り変る、今・ココが空の姿です。その空の姿にいろいろ思いを付け悩んでいるのが我々です。人の場合、
病は単に
病ではなく病気になるのですね。この場合の気は、こころもちの意味。こころもちが病むのです。
病む時は、
病む姿が佛の御命なのに。
人間の、いや私の
都合やエゴなしに、純粋に素直に天地の姿を見て下さい。地球の誕生する前から、宇宙全体が
壊れたあとも、必ず移り変る無常の当体の今・おココを刻んでいます。永遠の今・ココを。
人だけでなく、全ての物が、形・姿の有り様は異なっても、生・老・病・死という移り変わりをしております。必ず。地球上に長い時間存在すると言われる放射能も、いや地球・宇宙さえもです。
死に向かう姿は、人や物それぞれで異なり、死に方もいろいろありましょう。しかし死は、いや老・病・死はすべての人や物に来るのです。私やあなたにも。絶対の永遠の今を精一杯生きようではありませんか。年をとっても、
病の時でさえ精一杯生きましょうよ。精一杯生きた先には、必ず純粋な佛としての死があると思うのです。