新型コロナウィルス感染拡大の中で思う事
新型コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の中でこの原稿を書いている。
ここ修善寺温泉場でも、全ての宿泊施設・飲食店・土産物店等が休業している。修禅寺も4月29日から5月10日迄、葬儀・法事等の受付を除いて、御朱印・お守り・おみくじ等の販売業務を停止した。そんな訳で町の中には、人影はほとんどない。本当に静かである。
こんなことを書くと叱られそうであるが、私の感じる所を正直に書いてみよう。人の外出が減り、町や川や山が静かになった分、自然界が嬉び、輝いているように感じるのだ。修禅寺裏庭には、達磨山から水を引き入れた池があり、約30匹の鯉達が泳いでいる。毎春、1匹か2匹の鯉が病気で死んでしまう。しかし今年の春は、皆元気で、安心しているように見えるのである。山上にある観光施設・梅園等も人が少なくその分、池に流れ込む山水がきれいな為と思っている。先日は、大きなアオダイショウ(蛇の1種)が日中、境内をノソノソ散歩し、木に登っていた。普段は余り見ることがないイタチが裏庭を走っている。境内や寺山の木々や
苔がなぜか感心して光り輝いているような気がする。そして山からの川からの空気がうまい。たった1ヶ月ほど人が来なくなっただけなのに。
自然界の調和が取れている中、ある種の生き物が異常に増殖した場合、必ず伝染病が起こり、その種の数は減少すると言われている。1907年、アーネスト・シートンが北極平原の旅に出た時の事を書いた本の中に、前年にはたくさんいた北方ウサギ(シロウサギ)がこの年には1匹も見かけなくなっていた。これは、ウサギの間に疫病があらわれ、すごい勢いで広がった為であると書いてあった。天地の
生命は、人間の思いを越えた調和の中にあるようだ。
2019年の世界の総人口は、約77億人。今や地球上に人のいない場所は、ないのではないか。
私達・人間は、地球という生命体の1つとして、今・ココにに存在している。そしてこの生命体の中で全ての物(者)は関係しあい、助け合いながら存在している。たとえ人間の目から見て価値なく、有用性の乏しい物でも。そう、今・ココの関係性の多くは、私達・人間の知覚では計り知れないのである。
ノルウェーの哲学者、アルネ・ネルは、地球という生命体を健全に守るために(人間も含めて)こう提唱する。『人間中心主義ではなく、生命圏平等主義の立場を取り、生命の多様性と共生をもとめなさい』と。
では、この生命体を守るためにどう行動するか。それが、
八大人学のお示しであると思う。
八つの大人の
覚である。
1、少欲 …
未得の五欲(財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲)の法の中に於て、広く
追求せざる。
1、知足 …
己得の法の中に、受取するに限り
以てする。
1、
楽寂静 … 諸の
憒鬧(心が乱れさわがしい所) を離れ、空閑に独居する《寂静を楽しむ。1人を恐れない。1人を楽しむ》
1、
懃精進 …
諸の善法に於て、
懃修(ねんごろに修する)することと
無間(すきまなく)なり故に精進という《今・ココの生命を精一杯生き切る》
1、不忘念 …
亦た
守正念と名づく。法を守って失わせざる名づけて正念と為す《思考は事実ではない。心の癖・妄想に気を付けよ》
1、修禅定 … 法に住して乱れず、名づけて禅定と曰う《今・ココとは、いつでもどこでもある。すき間なく、この天地の生命と共に生きる》
1、修智慧 … 聞思修証を起こすを智慧と為す《聞く・思う・修す・何からなにまで、一挙手一投足この
生命・佛様の
証、そのものであると知り安心して生きる》
1、
不戯論 … 証として分別を離るるを、不戯論と名づく。実相(天地のありよう)を究尽す。《人間の価値観・有用性等では、測り知れない天地の生命。それは、今・ココに表れている。戯論を弄しているヒマはない》
今、人類は新型コロナウィルスの蔓延や地球規模の環境問題等により、これまで以上に大きな価値観の転換と生き方の変化を求められているように思うのです。経済的裕福さ、享楽的娯楽を最優先することではなく、生きる当体、すなわち、この
生命を大切にする生き方に。