弘法忌
毎年四月二十日・二十一日は春季弘法忌大祭である。
忌とは、『命日』の意。祭とは、『宗教上の儀式またはその日』の意味。すなわち弘法忌大祭とは、弘法大師空海の命日を記念して修行される儀式なのである。
通常であれば、四月二十日午后一時に御輿お上り。二十名程の男衆が弘法大師像が乗る御輿を担ぎその後に、僧侶・寺役等が加わった行列が「南無大姉遍照金剛」と挙唱し奥の院まで上がる儀式。御輿は、奥の院で一泊し次の日(二十一日)行列を作り修禅寺へ帰る(御輿お下り)。
二十日の夜七時半より万燈会。独鈷公園の稚児大師像前で読経後、参加者各人が小灯篭を戴き修禅寺本堂まで行列を組み、本堂内須弥壇上に献燈。弘法大師の御徳・業績を賛嘆し顕彰する儀式である。毎年一百名から一百五十名程の参加者がある。ちなみに、この万燈会法要は、先代四十二世田中德潤御前様が始められたもので、それ以前は、弘法大師の逮夜(忌日の前夜)諷経を山内衆と婦人会等で修行していました。
四月二十一日、弘法忌当日は午后一時より湯汲み式。湯汲み娘が独鈷の湯から汲み上げた湯を入れた小桶をささげ、それにかわいいお稚児さん達が加わった華やかな行列(この儀式も万燈会より古いですが近年始められたものです。)それに奥の院からの御輿お下り行列が加わり、一つにまとまり総勢二百人以上の大行列を作り修禅寺本堂へ向います。これが毎年の弘法忌のクライマックスでしょうね。その後、御輿を本堂中央に安置して、大祈祷会。修禅寺末寺の僧侶方の随喜もあり僧侶だけでも二十名以上の大祈祷会です。
しかし今年は新型コロナウイルス感染症蔓延の為、特に三密(密閉・密集・密接)をさけ、このような大規模な大祭ができなくなりました。
令和二年春季弘法忌大祭は四月二十日本堂にて弘法大師御輿御開帳。御位牌だけを小さな輿にうつし数名にて奥の院へ出発。御位牌は奥の院にて一泊。夜七時半より万燈会が始まる以前の形、すなわち逮夜諷経を山内衆・護持会役員のみで修行。二十一日は、午后一時弘法大師御位牌が奥の院より到着。本堂にて御迎えの読経。午后二時、湯汲み式。僧侶一名と関係者のみでおこない本堂に献湯。午后三時より大祈祷会。山内衆、護持会役員、婦人会役員にて修行。いつもより縮小し、人出も少なく寂しい弘法忌となりましたが、その分丁寧に、弘法大師に誠を尽すことができたのではないかと思っています。あまり外側の事に振回されず、弘法忌の内容等を点検しながら行じられ、小生としては、貴重な弘法忌となりました。
弘法大師は著書『
秘蔵宝鑰』でこう言われています。
三界の狂人は狂なることを知らず。
四生の盲者は盲なることを識らず。
生まれ、生まれ、生まれて、
生の始めに暗く。
死んで、死んで、死んで、死の終わりに
冥し。
我々は、何の為に、何をする為にこの世に生まれ。死んでどこへ行くののか。生とはどうゆう事なのか。また死とは。必ず死ななければならない我が身として真剣に考えなければならない問題だと思いますが。