少欲・知足

 
 令和二年三月より修禅寺では毎朝課のおり弘法大師様に悪病退散・感染収束を祈願していましたが思う処があり、令和三年四月より
「皆共に少欲・知足・懃精進(ごんしょうじん)不忘念(ふもうねん)楽寂静(らくじゃくじょう)・修禅定・修智慧・不戯論(ふけろん)ならんことを」と御願いしている。もし皆が少欲・知足・懃精進等の八大人覚(八つの大人の覚)を生きるのならば、緊急事態宣言など出す必要もなく自然に新型コロナウイルス感染症も終息すると思うからである。さらにまた今日、地球上に惹起している異常事態(地球温暖化・気候変動・大規模災害・生物種の絶滅危機また貧困やテロ・戦争等)の唯一の根本的解決策であると思うのでもある。

 ただこれは、言うにやすく、おこなうことは、本当にむずかしいだろう。現代の物がありあまった世の中を経験し、経済的裕福さ享楽的娯楽を幸福の第一とする教育を受けて育った現代人には、もはや八大人覚を生きる事は無理なのかもしれない。しかし少しでも、一人一人ができる範囲でもいい、この八大人覚を生きようとする心があれば、世界は少しずつ変って行くにちがいない。

 全てのこの世に存在する物・者は生滅をくりかえす。この太陽系宇宙の寿命は、太陽の質量から計算すると約百億年。すでに四十五億年が経った。そう、あと五十五億年程でこの地球も死を迎えることになる。しかし今のままの状態で人類が進んでいたら地球上での人類の滅亡への時間は、そう長くないように感じる。そしてただ人類だけが滅亡するのではなく、この美しい地球の多くの生命体を道連れにして。

 今私には山や川や海の、またそこに生きている物達のかなしみ・苦痛の声がきこえて来るのである。



*八大人覚(八つの大人の(さとり)

一、少欲(しょうよく)未得(みとく)の五欲(財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲)の法(今・ココの生命(いのち))の中に於いて、広く追求(ついぐ)せず。

二、知足(ちそく)已得(いとく)の法(今・ココの生命(いのち))の中に、受取するに限りを(もっ)てする。

三、懃精進(ごんしょうじん)(もろもろ)の善法に於て、懃修(ごんしゅ)すること無間なり故に精進と()う(今・ココの生命(いのち)を精一杯生き切る。)

四、不忘念(ふもうねん)()守正念(しゅしょうねん)と名づく。法を守って失せざるを名づけて正念となす(思考は事実ではない。心の癖・妄想に気を付けよ。)

五、楽寂静(らくじゃくじょう)…諸の憒閙(かいにょう)を離れ、空閑に独処する。(寂静を楽しむ。一人でいる事を恐れない。一人を楽しむ。)

六、修禅定(しゅぜんじょう)…法に住して乱れず、名づけて禅定と云う。(今・ココの生命(いのち)とは、いつでもどこでもの生命(いのち)と言う事。すき間なく、この生命(いのち)を生きる。)

七、修智慧(しゅちえ)…聞思修証を起すを智慧となす。(聞く・思う・修す・証す・何からなにまでこの生命(いのち)の働きであり、生命(いのち)そのものであると知り安心して生きる。)

八、不戯論(ふけろん)…証して分別を離るるを不戯論と名づく。実相を究尽す。(人間の価値観・有用性等では測り知れない天地の生命(いのち)戯論(けろん)を弄しているヒマはない。)

○まずわたし自身が、その場限りのまやかしごとではなく、地に足が着いた実生活の場で、毎日の普通の生活の中で、この八大人覚を行きたいと思う。
 

(2022年1月)


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