■ 頼家まつり

寿永六年(1182)、源氏の嫡男として祝福されて出生した万寿は、やがて頼家と名乗り18歳で家督を継ぎ、鎌倉幕府の二代将軍となりました。頼家は果断な政治を行おうとするものの御家人たちの利害と対立し、実権を奪われて修禅寺に幽閉。その翌年の元久元年(1204)に派閥抗争の犠牲となり、志半ばで暗殺されてしまいました。
この悲劇の将軍を慰めるため毎年7月17日の命日には、墓前祭が営まれるようになりました。(近年は17日前後の休日に営まれます。)戦前までは墓のある指月殿の境内に二十五流の五色の小旗が掛けられ、子供相撲があり、吉兆を占う「お伺い石」に行列が出来るほどの賑わいでしたが、戦後は地元町内会により墓が守られ、供養の施食会が続けられてきました。
没後800年の平成15年には「源頼家公八百年祭」が町を挙げて盛大に挙行され、これを契機に修禅寺から墓前まで位牌を担いで行列し、仮装などのイベントも併せて行われるようになりました。同17年には頼家の家臣「十三士の墓」も指月殿の隣接地に移設されたため、「頼家祭り」は主従の墓前供養祭として執り行われています。